2021-10-11 第205回国会 衆議院 本会議 第3号
ことに青年海外協力隊をお創りになった末次一郎先生は、沖縄返還をなし遂げられ、北方領土返還運動の先頭に立たれました。私は、同郷の若輩である私に世界の同志を創り日本の真の独立と繁栄に尽くす道筋を教えていただきました。
ことに青年海外協力隊をお創りになった末次一郎先生は、沖縄返還をなし遂げられ、北方領土返還運動の先頭に立たれました。私は、同郷の若輩である私に世界の同志を創り日本の真の独立と繁栄に尽くす道筋を教えていただきました。
末次一郎先生、自民党さんにも弟子の方がたくさんおられますけれども、私たちは、末次先生のもとでこの北方領土返還運動、実際にサンクトペテルブルクの歴史資料館に行けば、あそこにも、私たちの、我が国固有の領土であるということが書いてあるんですね。そういう中で厳しい交渉をしてきたので、この東京宣言ということがないがしろにされることはないということを大臣に一言確認しておきたいと思います。
その沖縄に対する思い、それから、その後に、末次一郎先生は、若いころに御指導いただきましたけれども、沖縄返還運動、民間レベルで大変なお骨折りをされた方であります。そういう先人たちの沖縄に対する思いというものもしっかり改めて引き継ごう、受け継ごう、そういう思いのもとで、最初、初日、回らせていただきました。
そして、末次一郎先生の胸像を訪問されている。 沖縄の復帰前から、そして復帰後も、日本の沖縄に思いをはせる多くの総理がいらっしゃったかと思います。今回の沖縄訪問に当たって、総理御自身としてはどういう思いを沖縄に持たれたのか、その点についてお聞かせください。
○前原国務大臣 先般もここの場で同様の質問をいただきまして、私が北方領土返還運動全国大会の場で申し上げた中身についてはお答えをしたところでございますが、改めて申し上げますと、私は、大学で国際政治を専攻して、そして松下政経塾で延長線上でさまざまな国際関係に関する研究をさせていただきましたけれども、その一つが北方領土問題でございまして、末次一郎先生にさまざまな御指導をいただいて、政治家になった一つのきっかけがこの
松下政経塾にいるときに末次一郎先生にもいろいろと教えていただき、この問題を解決しなければ戦後は終わらないということを私も強く思いまして、政治家になった一つのきっかけがこの問題でありました。政治家として、この問題の解決に努力をしていきたいという思いを述べたものでございます。
多くの北方領土関係の方々は二〇〇〇年に向かって期待を持っていたわけでありますし、私の知っているある有名な、末次一郎先生なんかは手術もしないで二〇〇〇年まで声を出し続けると言って闘病生活を続けてこられた経緯もあります。 そういう中で、平和条約というのが締結をされない状況の中で、日本とロシアの経済交流はどんどん進んでいるわけであります。
私が政治の舞台で活動する一番先に、実は、今は亡くなりましたが末次一郎先生という方に大変私淑をしておりまして、その末次さんが北方領土返還運動というのを全力でなさってこられた。そういったところから私の一つのスタートがあるわけでありますけれども、この北方領土の問題、そして竹島。
○原口委員 私は、全体の教育に関しての投資やあるいは構造改革という方向性はしっかりとお示しいただく、その上で、私も、亡くなりました末次一郎先生に御指導をいただいて、沖縄政策についてはもう二十数年、ここにいらっしゃる仲村先生や白保先生、多くの人たちとともに、この状況を突破したい、その思いで頑張ってきました。もう総論はいいんです。
昨日、私ども、参考人の御意見をいろいろ拝聴したわけでございますが、田久保忠衛杏林大学教授、それから民主党から推薦されました森本敏中央大学客員教授、いずれも同じ御意見であられましたし、もとより、自民党から推薦のありました金城重正さん、あるいは太陽党から推薦されました末次一郎先生、いずれも同じような御意見であったというように私ども受けとめております。